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『ご結婚おめでとうございます!』

 2011-11-21
ムタさん、チビッコさんご結婚おめでとうございます。
同じ掃除仲間として心よりお祝い申し上げます。


ムタさん結婚の一報を耳にしたとき、NHKの連続ドラマ『神様の女房』が頭に浮かびました。


このドラマは経営の神様と呼ばれたパナソニックの創業者松下幸之助の妻「松下むめの」の半生を描いたものです。興味深かったのは、数ある良縁の中でなぜ条件が一番悪い幸之助を生涯の伴侶として選んだのかということです。


当時の幸之助はしがない電灯会社の社員で貧乏な上、
からだも弱く、家柄も良くありませんでした。


ではなぜ幸之助を選んだかというと、家柄や財産があればそれにとらわれ、自分らしく生きることが出来ない。そういったものは自分の足枷になる。一番悪い条件からスタートすればこれ以上悪くなることはないと考えたのだそうです。


今の世の中、結婚するに当たり、多くの「条件」を付けようとする人があまりにも多いように思います。


幸せになるためには、あれも必要これも必要と条件を並べたて、これを叶えてくれなければ結婚する意味がない、と考える人たちです。


つまり人から幸せを与えてもらうことのみに関心を示し、人に幸せを与えることをしない人たちです。


随分昔の話ですが、小生の若い頃は結婚の好条件として「家付き・カー付き・ババア抜き」といった言葉がもてはやされ、またつい最近では『3高』といった言葉がもてはやされています。「高収入」「高学歴」「背が高い(イケメン)」といったところです。


ところでムタさんはどうかといえば、「高収入」?、「高学歴」?、「イケメン」?。
見事にみんな×(バツ)ですね。(ムタさんゴメンナサイ。)


チビッコさんよかったですね。あなたは、むめののように、家柄からも財産からも縛られることなく自由です。もうこれ以上悪くなることはありませんから。


「幸せ」とは、まずは自分が先に相手に与えること、そして与えられた人は、今度は、与えてくれた人に感謝し、幸せを少し多くして投げ返す、いわばキャッチボールのようなものだと思います。


では、ナイナイづくしのムタさんはチビッコさんに幸せを与えることはできないのか?。


そんなことはありません。


小生、瀬戸内寂聴さんから「無財の七施」という言葉を教わりました。


「施」とは、人に幸せをあげること、人を喜ばせること。つまりお金や財産ががなくてもやれば人に喜んでもらうことができる七つのこと、という意味です。


ちょっとだけ紹介すると、


①眼施
いつもやさしい眼差し。

②和顔悦色施
笑顔をたやさない。

③言辞施
正しい言葉、いたわりの 言葉。

④身施
礼儀正しさ。

⑤心施
相手を思いやるココロ。

⑥床座施
席をゆずってあげる。

⑦房舎施
人を家に泊めてあげる。


この七つがそうです。
これだったら心掛ければ出来ますよね。


つまり人が喜ぶことで今すぐできることをちょっとだけする。小さな幸せをあげる。
またそれを受けた方は、今度は少し多く返す、こんなキャッチボールをすることだと思います。


縁あって、いままで別々の道を歩いていた一人の男と一人の女がこれからは一本の道を、「小さな幸せ」のキャッチボールをしながら歩いていく。ボールを返すたびにお互いの絆が深まり、お互いがかけがえのない存在となってゆく。


結婚とはそんなものです。


「塵も積もれば山となる」という言葉がありますが、小さな幸せを互いにコツコツと積み重ねてゆけば、必ず大きな幸せとなります。


お二人の結婚を心から喜び、幸多きことを心よりお祈りしお祝いの言葉といたします。



スーパーの店員のマツグより。
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せいちゃんへの手紙

 2011-03-30
せいちゃん、ご卒業おめでとうございます!


いよいよ社会人として今春新しい出発をなさるのですね。
GBに集う同じ掃除仲間として、心よりお祝い申し上げます。


在学中は学生チームリーダーの務め、本当にご苦労様でした。
特に火曜日の夕方そうじの実施、ご苦労様でした。
その際にお世話をかけた者の一人として、深く御礼申し上げます。


せいちゃんが学生チームリーダーの役割を引き受けられたのは、
確かシューカツ(就活)の真っ最中でしたね。
学生さんにとって時間は貴重。
持てる時間は誰でも自分自身のためだけに使いたいものです。


GBの活動はあくまでも、ボランティアの活動。
それをしなくても別に非難されたり文句を言われたりするようなことはありません。
しかし、やれば多くの人たちに喜んでもらえます。


「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉がありますが、
正義感の強いあなたは、この面倒で厄介な役割を心良く引き受け、
背負い、この一年間取り組んでこられました。


役割を引き受けてはみたものの、
周りの友人たちはシューカツ(就活)に躍起になっている真っ最中。
「自分はなんと無駄な事をしているのだろう」。
周りの友人たちから自分だけがただ一人取り残されたような、
そんな思いが、ふっと頭の中をよぎった事があるかも知れません。


また、リーダーの役割とは率先垂範すること、メンバーの皆さんが活動しやすいように下準備をすること、
そして活動が終わればその後始末をすることなど、大切な事ながら、
なかなか人の目に付かない裏方の仕事をこなすことです。


「やめたい」。
そんな思いもまた、頭の中をよぎった事があったかもしれません。
でも一旦引き受けたものは最後までやり抜くという強い意志のもと、
懸命に取り組んでこられました。心より敬服いたします。


あなたの奮闘のおかげで数多くの学生の皆さんが活動に参加され、
「ボランティアすることは楽しい」「人を喜ばせる事は楽しい」ということを
体験されたということを小生は確信いたします。


今春もせいちゃんと同様に数多くの学生さんが社会人となります。
その数多くの学生さんとせいちゃんとの違いは何か。


それは、大切な事とは、自分の得にならない事、すぐに結果が出ない事である。
でも継続して懸命に取り組めば、多くの人たちに喜んでもらえる事だと。


その事を活動の中で幾度も体験されたことではないでしょうか。


人生を歩んでいくなかで、人は大切な事に向き合わなければならない時が必ずあります。


そんな時も今のあなたは少しも自分を見失うことなく、
なすべき事を坦々となしてゆかれることでしょう。
そしてその事があなたの周りの人たちを幸せにし、
またあなた自身も周りの人たちから幸せをいただけるでしょう。


あなたが社会人となるにあたり、好スタートを切られた事を心から喜びお祝いの言葉といたします。



スーパーの店員マツグより

成人を迎える方へ

 2011-01-08
皆さんこんにちは。スーパーの店員のマツグです。

1月10日は「成人の日」。グリーンバード及びB-cycleに集う皆様の中で今春「成人」となられる皆様、ご成人おめでとうございます。同じ掃除仲間、自転車整理仲間として心よりお祝い申し上げます。

この日から、社会の中で成人としての権利が発生いたします。選挙権を行使できること、酒を飲んだりタバコを吸ったりすることができるなど、今までできなかったことができるようになります。

しかしまた同時に「義務」「責任」も発生いたします。たとえば、納税の義務などの国民の3大義務といわれるもの、自分のした行為がもし法律を犯したものであれば厳しく責任を問われるなど、いわば自分の身の回りのすべてに「自己責任」を負うようにもなります。

法律違反とまで大げさではなくても、成人としてのマナーや作法が当然求められます。しかし残念ながらそれが出来ていない大人があまりに多すぎるように思います。街の路上にゴミを平気でポイ捨てする人、違法駐輪・迷惑駐輪をする人、違法広告物で街の景観を壊す人たちです。

人の心はちょっとした事でも乱れるものです。それらの人たちの迷惑行為が街を行き交う多くの人の心を荒ませ、当然、険しい人相をした人が多くなり人に対する思いやりや優しさがなくなりギスギスした世の中になっています。「大人になりきれていない」大人が増えているように思います。

活動をするなかでつくづくそのように感じます。みなさんはいかがでしょうか。

「大人と子供の違い」は何か。小生は次のように考えます。子供は正直だと言いますが、いわば自己中心的で自分の行動基準はあくまで「自分」であり、物事が自分にとって好都合か不都合か、損か得かで行動し、不都合や損をがまんできません。

一方、「真の大人」とは、自分のとった態度や行動がまわりの人に迷惑をかけてはいないか、人を不快にしたり傷つけたりしてはいないかを絶えず気遣う、思いやることができる人。
それが真の大人だと考えます。そしてそのために、ちょっとだけ勇気をだすこと、ちょっとだけ面倒を引き受けることができること、ちょっとだけ損をすることをいとわないことができる人だと思います。

GBやB-cycleのボランティア活動は「人を喜ばす」活動ですが、人を喜ばすことは実際、ちょっとだけ勇気がいったり、ちょっとだけ面倒だったり、ちょっとだけ損をしたりするものです。でも、それを乗り越えて行うと多くの「笑顔」や「感動」に出会え、自分もまた元気がもらえます。活動を楽しみながら「真の大人」になるヒントはそこにあると思います。

「真の大人」になったところで一文の価値もないし別にどうということもありません。しかしそうなることがその人のまわりの人を幸せにし自分もまた幸せをいただける。だからこそ懸命に努力して身につけるスタイル(流儀)だと思います。

かく言う小生も「真の大人」とはいえませんが、そうなりたいと努力を続けたいと思います。活動を重ねることでいっしょに「真の大人」になることを目指しましょう。

この良き日が皆様にとってその「出発点」となることを心よりお祈りし、お祝いの言葉といたします。


スーパーの店員 マツグより

創立記念日に思う

 2010-10-06
皆さんこんにちは。スーパーの店員のマツグです。

10月6日はGB福岡の創立記念日。もう7周年にもなるとのことです。
つきましては、これにちなみ活動への今の思いを少しお話ししてみたいと思います。


今の世の中、いわゆる「結果」にこだわる人が多いように思います。

たとえば何か新しい試みに取り組もうとしたとき、
「それで結果はどうなるの」と必ず聞く人。「早く結果がほしい」。「結果が全て」と言い切る人たちです。
いわゆる、「その結果」が自分にとって損か得かという事をまず第一に考えるからでしょうか。

早く結果を得たいがために自分の周囲の人たちに競争を押し付ける人。
結果を出すためには何をしてもかまわない。人はどうなってもいい。自分さえ良ければいい。結果を出すためなら人の顰蹙(ひんしゅく)を買うことも平気。場合によっては法律を破ってまでも結果を出そうとする。
そういった、「結果がすべてを癒す。」という価値観を持った人が増えてきているように思います。

問題はどういうプロセスを経てその結果を手にしているか、という事ですが。

そういった人たちは、取り組んでも成果が必ずしも保証がなされていないもの、見返りがないもの、すぐに結果がでないものなどは無駄なこととして取り組む価値がない。できるだけ避けたいと考えています。

また一方で、大した苦労や努力をしていないのにすぐに結果が出せないと「負け組」と自らレッテルを貼り、「俺はダメな人間だ」と悲嘆にくれる人も数多くいます。
すぐに結果がでないため簡単にあきらめてしまう。継続しない。粘り強く続ける事をしない。あきらめずにがんばることをしない人たちも増えてきているように思います。

そういう点では、GB活動も取り組めば必ずしも成果や結果が保証されているものではありません。
何の保証もありません。
ましてや何か見返りがあったり得をしたり益があったりするものでもありません。

そんな活動を木下代表は自らGB福岡を創立し、7年間ものあいだ取り組んでこられました。
心より敬服いたします。

大事な事ほどなかなか人に理解してもらえず、それを理解してもらうには不断の努力を要するものです。

活動を始められた当時は「美しい街は人の心を美しくする」という事が周りの人たちになかなか理解してもらえず相当な苦労をされたのではないでしょうか。

実際、街の路上にポイ捨てされたゴミを人前で拾うには相当な勇気が要ります。
大半の人たちは見て見ぬふりをしてそばを通り過ぎます。
面倒な事に関わりたくない、そんな事をしても一文の得にもならない、と、考えるのが普通だからです。

しかし、僕らを楽しませてくれたり、元気をくれたりする街、僕らの職域や生活の場である街は、ますます汚れていく一方です。ポイ捨てされたゴミを見た人の心は荒み、険しい人相をした人が街を行き交うようになります。
すると人に対する思いやりや優しさがなくなり生き辛い世の中となります。

木下代表はこの事に早くから気づき、まずは足元に落ちているポイ捨てされたゴミを一つ拾う事から始められました。

活動に取り組んでる中で、なかなか思ったような成果や結果が得られず、
「これは必ずしも俺がやらなければならない事なのか」「俺はそんな偉い人間か」
という思いがふと頭の中をよぎった事があるかも知れません。
でも、それを乗り越えて今日まで頑張って来られました。心より敬服いたします。

人は困難や苦難に直面したとき、いや直面したからこそ真剣に考え行動し、もてる全身のエネルギーをぶつけてそれを乗り越えようとする。

そして、そんな中で新たな知恵や工夫が生まれ、それが困難解決の突破口となって事態が一歩一歩ずつではあるが前進して行くものだと思います。


このようして木下代表は一歩一歩ではありますが、小さな小さな成功をまるで落ちているポイ捨ゴミを一つ一つ拾うかのように一つ一つ積み重ねて、「楽しく・面白く・カッコイイ」新しいボランティアスタイルGB福岡を築き上げてこられました。

こんにち僕らが活動に使用しているあらゆるものがあるのは「当たり前」の事なのか。
ビブスやトング、ゴミ袋、軍手、のぼり旗がある事は「当たり前」の事なのか。さらに活動のため西鉄さんの倉庫が使える事、活動で拾ったゴミを市の環境局の方が回収して下さるのは「当たり前」の事か。
その一つ一つにエピソードがあるように思います。そしてそれを木下代表にお聞きし支援していただいている皆様方への感謝の気持ちをふくらませたい、そんな気持ちです。

『結果にこだわらず、まずは動く。小さな成功を一つ一つ積み上げて、決してあきらめないで努力を続ける。』

活動するなかでゴミを懸命に拾っておられる木下代表の後ろ姿に教えていただきました。
深く感謝いたします。
そしてこの活動をとおして代表と同じように人としてさらに成長してゆきたいと願っております。


感謝の気持ちを込めて。

スーパーの店員マツグ

ムタさんへの手紙

 2010-04-16
ムタさん、GB福岡での5年間の活動どうもご苦労様でした。
今月いっぱいで福岡の地を去り郷里の東峰村にて
農業の仕事をなさるとの事、お聞き致しました。
GBでは先輩のムタさんがいなくなるのがさびしいやら、
新しい門出をなさるのがうれしいやらなんだか複雑な気持ちです。

でもこの事は5年間のGB活動にたずさわるなかで
自らそうすることを選ばれたのだと思います。

今の世の中、「こうすればこうなる」と
保証された事には誰でも抵抗なく取り組みますが、
何の保証もない事への取り組みをする人は少ないように思います。

失敗したらどうしよう、
という不安から取り組んだ事に対する見返りが
確実にある事のみしかやらない。

また大した努力や苦労もしていないのに、
これだけやったのだからこれだけ見返りがあって当然、
という考えをする人が増えてきているように思います。

そういう点では、私たちGBの活動も取り組めば確実に
「ポイ捨て」がなくなるという保証は全くありません。

しかしまずは自分の足元に落ちているゴミを
一つ拾う事から始めなければそのことが実現する事もない、
というのも事実です。

そしてたとえ見返りがなくても、誰かが取り組まねばならない。

そうしなければ大好きな街は汚れていく一方、
ポイ捨てされたゴミを目にした人の心は荒み、
険しい人相をした人たちが街を行き交うようになります。

大事なことほど人になかなか理解されず、
それを理解してもらうには、たゆまぬ忍耐力と努力を要する事を
いまさらながら痛感する今日このごろです。

そんなGBの活動をムタさんは持ち前の忍耐力と継続力で活動を支え
5年間もコアメンバーとして取り組んでこられました。

心より敬服いたします。

今度ムタさんが取り組まれる「農業」も一生懸命努力したから
それ相応の成果が受け取られるかというと必ずしもそうではありません。

丹精込めて育てた作物が収穫寸前、
災害に見舞われ今までの努力が
一瞬のうちに水の泡に帰すこともしばしばあるからです。

しかしあきらめずに努力し続けなければ次の収穫はありません。

絶えず努力し工夫しなければならない毎日が続くことかと思いますが、
松下幸之助翁は『難儀(なんぎ)もまたよし』という言葉を遺しています。

困難に直面したからこそ、人はどうすればよいかを真剣に考える。
試行錯誤する。立ち上がり、歩き、躓く。
また立ち上がり同じことを忍耐強く続ける。
今すぐに何ができるかを考えそれを一つ一つ実行し少しづつ積み上げてゆく。

そんなところから道が開け、
人は人として大きく成長していくものだと思います。
苦労や努力を嫌う人は、人として成長することはありません。

ムタさんは人として大きく成長する道を選ばれました。
そのいさぎよさに小生勇気をいただきました。
ありがとうございます。

お別れの言葉として、よく「がんばってください。」
と言う人がいますが小生は嫌いです。
なぜなら、まず一歩を踏み出しておられ
もう十分がんばっていらっしゃるからです。

代わりに『楽しんでください。』
という言葉を贈りたいと思います。

なぜなら、つらい事や苦しい事を
いかに楽しく面白くやるかを考え、
それをやるのが僕らGBのスタイル(流儀)だと信じるからです。

どうぞあちらに帰られましても
『楽しく!楽しく!グリーンバード』してください。


スーパーの店員 マツグ
より。
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